通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


「函館市史」トップ(総目次)

第3章 戦時体制下の函館
第2節 戦時体制下の産業・経済
2 戦時下の工業
2 木造船製造業と機械器具製造業

戦時体制初期の造船所と鉄工所

太平洋戦争勃発後の生産動員

戦時体制初期の造船所と鉄工所

国家総動員法の公布と物資動員計画の開始   P1151

 昭和13年4月に国家総動員法が公布されたあと、企画院から物資動員計画が発表され、国全体が戦時プログラムに組込まれることになった。木造船製造業や機械器具製造業については、先ず業種別工業組合の全国組織が作られた。また、鋼船建造、航空機製造などの重要軍需産業については製造事業法により特定企業の振興策が計られた。函館では14年4月に函館船渠(株)が事業法の指定を受け施設、設備を拡大することになる。
 工場労働者の就業環境は、大正3年に工場法が施行されてから、徐々に改善されたが、職人・徒弟と云われ、社会的地位は低かった。軍需産業の興隆発展は、職人に地位の向上と生活の安定をもたらした。この頃から従業員(熟練工、養成工)と呼ばれるようになる。しかし、軍需物資増産のため、労務管理も統制化の方向にむかい、雇人や移動の制限(13年)、賃金統制(14年)など多くの制約が課せられるようになった。

北海道南部木造船工業組合への加入   P1151−P1152

表3−12 北海道南部木造船工業組合函館管内組合員と営業収益税
組合員名
会社名
住所
昭和14年
営業収益税
船矢喜之助
岩岸久太郎
寺西経世
山矢武
服部正三
西村岩吉
本間寅吉
氷見菊太郎
平石仁八
鈴木勝雄
佐賀久四郎
続隆吉
新蔵利八
大野由松
渡辺熊蔵
細木岩松
斉藤五一郎
小山内敬六郎
橋本筆次郎
佐々木勝郎
宮崎信太郎
進藤慎太郎
北村慶一
堀外吉
浅井治芳
笹谷磯吉
泉由松
滝川善佐
井上幾太郎
半田そのえ
笠巻栄太郎
北村清
船矢造船所

巴造船所
(合資)小杉造船所
服部合名会社
(株)西村造船所








(株)真砂造船所






日魯漁業(株)七重浜造船所

(合名)堀造船所

(合名)笹谷造船所



(合名)半田造船所


浅野町1
海岸町61
真砂町7
真砂町7
真砂町2
西浜町1
末広町111
船場町19
山背泊町43
帆影町6
金堀町136
音羽町5−1
真砂町3
杉並町28
真砂町5
鶴岡町36
弁天町37
船場町1
鶴岡町35
真砂町7
仲浜町28
真砂町6
旭町4−13
小舟町45
住吉町8−7
大森町25−1
帆影町8
宇賀浦町21−1
上磯町字七重浜111
亀田村字港37
亀田村字港25
幸町2
275.25
18.00
52.50

25.05
54.16
105.00
45.00
25.50
18.00
49.50
22.50
82.50


















昭和16年「北海道南部木造船丁業組合名簿」・昭和14午『函館商工名録』より
 13年12月、政府の指示で船矢喜之助が中心となり、新たに北海道南部木造船工業組合を設立した。これは函館だけでなく、道南、室蘭を含む広範囲のものであったが、函館造船業組合の全員はこの新組織に参加した。函館管内の組合員と14年の営業収益税を表3−12に示した。南部木造船工業組合の理事長は船矢喜之助、理事は氷見菊太郎、佐賀久四郎、水田正、棚橋忠蔵、岩島正夫、佐藤利吉、監事は西村岩吉、石塚元治、書記長は渋谷二郎で事務所を函館市鶴岡町6鶴岡ビルにおいた。北海道の地方組織には南部(函館、室蘭、日高、勇払、胆振、115名)の他に東部(釧路、根室、網走、77名)、西部(稚内、留萌、岩内、小樽、80名)の2組合があった。これらを統轄する日本木造船工業組合連合会(東京市麹町区丸ノ内2丁目、丸ビル内)は、理事長、伊藤達三、専務理事木村嘉次で、理事7名、監事3名、資材調査委員8名から成立っていた。船矢喜之助はここの理事でもあった。所属組合は全国を網羅して42組合、3483名である。

製造機種別工業組合への加入と主要鉄工所の動向   P1152−P1154

 13年10月、商工省の要請で日本機械製造工業組合連合会が設立されたが、これには内燃機関、工作機械、農機具など各製造部門の工業組合連合会が加入していた。政府は鉄鋼配給規則(13年7月)による生産資材の配給をこの組織を通して行うことにより、資材統制と生産統制の一石二鳥をねらった。14年の函館鉄工機械工業組合の役員は理事長は山村与三郎、理事には貝森平治郎、関豊作、出川大一郎(以上機械製造業)、林真次、川島徳次(以上鋳物業)、古川富太郎、東清(以上鍛冶業)、中川栄一(木型製造業)が就任した。業者はこの地域の組合と前記した製造機種別工業組合へ加入した。表3−13は、組合が14年に調査した工場能力表で、これに14年の営業収益税を付記した。この表で各企業の所有馬力数の小さいのは、当時1台の電動機からベルト伝動で多くの工作機械を動かす中間軸方式が採られていたからである。鋳物工場の溶解作業には銑鉄鋳物にはコシキ炉が、青銅鋳物やアルミ鋳物にはコークス坩堝炉が使われた。鉄製構造物の製作には電気アーク溶接機による溶接が行われるようになった。
表3−13 主な鉄工所の工作機械と設備(昭和14年)
 
工場名
住所
経営者名
従業員
工作機械
プレス機械槌
電気溶接機
ガス溶接機
鋳造炉
電動機
(馬力)
昭和14年
営業収益税(円)
旋盤
ポール盤
形削盤
平削盤
フライス盤
中くり盤
コシキ炉
ルツボ炉
機械製造業 (株)ウロコ鉄工部
(株)本間鉄工場
富岡鉄工所
関商会
大長鉄工所
池田鉄工所
山口鉄工所
宇波鉄工所
似内鉄工所
山村鉄工所
港町355
新浜町20
東雲町11
西川町6
西川町13
真砂町9
海岸町38
台場町49
真砂町3
真砂町2
岡本康太郎
本間米作
富岡徳三郎
関豊作
出川大一郎
貝森平治郎
山口甚三郎
宇波栄吉
似内儀三郎
山村与三郎
135
92
130
29
50
33
25
27
40
30
26
22
12
6
18
9
14
13
6
12
13
11
3
4
10
4
3
3
4
5
7
8
4
2
4
3
3
2
2
3
5
2
1

1
1
2
1

2
1
5
1

1
1



1
1
2
1
1





5








4



2


1

2



5


2

3

3






2

2






43.0
64.0
40.0
6.0
33.0
10.5
5.0
10.0
8.0
10.0

552.91
375.00
156.00
180.00
112.50
150.00
105.00
105.00
鍛冶業 魚津鉄工所
共同鍛工(有)
旭町9
大縄町62
魚津栄松
木下藤作
6
9
1
1
 
 
 
 
3
4
 
1
 
 
4.0
10.0
48,00
30.00
鋳造業 共和鋳工所
吉野鋳造所
林鉄工所
村瀬鉄工所
川島砲金鋳工所
真砂町2
真砂町3
追分町48
宮前町15
真砂町2
岡本久平
西村吉松
林真次
村瀬定次郎
川島徳次
36
35
30
20
13



4
3



2
2



1
1
 
 
 
 
 
 
5
4
3
2




3
10,0
5.0
5.0
5.0
3.0
105.00
135.00
97.50
144.00
90.00
鉄製構造物製造業 大森鉄工所
塚田鉄工所
木下鉄工所
真砂町3
真砂町2
真砂町2
大森尚吉
塚田幸大郎
木下富蔵
50
38
34

5
4
5
5

1
 
 
 
 
1
2
2
6
10
 
 
25.0
31.0
35.0
282.00
127.00
75.00
105工場の合計
1,539
353
223
73
25
16
5
30
20
85
31
15
1,304.5
 
『函館機械関連工業の歩み』昭和45年刊より、ただし営業税は『函館商工名録』(昭和16年)よりとった。
注)1 工場名は函館鉄工機械工業組合の「昭和14年能力調査表(105工場記載)」より主な工場を摘出した。
2 立削盤を形削盤に含めた。
3 合計は能力表に記載された105工場全部の合計である。

 本間鉄工場は引続き漁船用焼玉機関15、20、25馬力型の製造で月産10台に達していた。14年には中間軸型の1/2番万能フライス盤、2番万能研削盤の製作も行った。同年、富岡鉄工所はドイツ・ワンダラー型横フライス盤(WPM型フライス盤と称した。)の試作に成功し、元池貝鉄工所技師郷田武哉を迎え、設備機械の増強と治工具の整備を行って量産体制に入った。ウロコ鉄工部は、第2工場(追分町)で旋盤用チャックを作っていたが、後に漁船用15馬力焼玉機関の製造を始めた。
表3−14 戦時体制初期の金属工業、機械器具工業の生産額
 
金属工業
機械器具工業
工場数
生産額
工場数
生産額

昭和14
15

242
103

3,955,183
4,846,456

164
83

12,302,171
9,616,871
各年『北海道庁統計書』より
注)この統計では造船業は機械器具業に、鋳物業、鍛冶業、空缶製造業は金属工業に含まれる。
 昭和14、5年の金属工業、機械器具工業の生産額を表3−14に示したが、前章の表2−79(→統計より見た金属工業・機械器具工業(造船業を含む))に較べ生産額の急上昇が見られる。
 昭和9年の大火後鉄工所の分布に変化が生じた(前章図2−10−B参照→大火の影響と工場分布、工業組合の設立)。東川、西川、栄町地区は減少し、亀田、有川、港町地区は増加した。この様な市街地周辺部への工場移動は、このあとも続くことになる。真砂町地区は大火の被災を免れたのでそのままである。造船所の分布は従来と変らない。
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ